7月の東海岸 (追記)
: 西村位津子
(スタンレーさんとその息子)
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ラルフ・スタンレーを見に行く
ボブのオフ7月29日には何をしようかと悩むところですが
選択肢は美術館、買物、デートなど色々とありました。
それまで行動を共にしていた友人二人は、メドウランスへブルースを見に行くと張り切っていましたが、私はスプリングスティーンのためにバスに乗るのは気が進みませんでした。
結局、
"ラルフ・スタンレー無料ライブ29日"
というのを雑誌ニューヨーカーで見つけ、タイミングの良さに感謝しお天気の中バッテリー・パークへ出かけました。
会場はキャッスルクリントンという円形の歴史建造物で、傍に見える海からの風が吹ききれいな雰囲気でした。多分500人程度の収容人員、現在野外劇場として使われているようです。
入場券は先着順で配布されており、開演5時まで間がありましたがすでに列ができていました。
アイスクリームを買おうとしたその時「ハーイ!」と声をかけられ、振り向くとトランプスで会ったピーター・ギャラガー似のトロント青年でした。しかも
「ボブも来るかもしれないよね」とやっぱり考える事は同じでした。
アンケートを書いてると「ブルーグラス音楽が好きなのか?」と隣の人から聞かれどぎまぎしつつ
「今日はソルダム・シーンも演奏するからね・・・」
とただの前座かと思ってたバンドも結構有名らしいなどと推測できたりしました。
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ソルダム・シーン(4+1人)の皆さんは、半袖チェックのシャツにジーパンなど超庶民的な格好で伝統音楽、根づいた音楽っぽい気さくさ。
ヘリコプターが通りすぎる音にコーラスを邪魔されても
「アーーーーーーーー・・・・・・通りすぎてしまうまで声が続くかな」
などと軽妙なお喋りを随所にはさみ、ネイディーンや
"クリームというバンドの演奏で初めて知った曲"ローリン・タンバリンなどの曲を約1時間演奏し、休憩にはいりました。
立見もでて賑わってきてるなあ、と夕日のなか振り返った時
「ニューヨークを楽しんでるわね!」
と声をかけられ、一体誰や、と思うとやっぱりトランプスで会ったウィスコンシンのおばさんでした。一瞬皆がボブ・ディランファンに見えて困りました。
「ハイランズには感激だったね」「ガーデンじゃ、ラブマイナスゼロも良かったよ」
「タングルドアップでボブが後ろの観客にお辞儀して素敵なハーモニカ吹いてたよねえ」
「うん、昨日はレニーブルースだしね!」
ソルダム・シーンはなかなか良かったんですが
挨拶しに来てくれたピーター・ギャラガー青年と交わした会話はそれまでのボブ3公演についての感想のみでした。
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ラルフ・スタンレーとボーイズが登場した時はすでに辺りは暗く、赤いライトが照らすラルフ・スタンレーは驚くほどおじいさんに見えました。
他のメンバーより小柄でほっぺたが落ちて口の脇にしわがあり髪は白く、淀川長治さんみたいでした。
水色のプレスしたスラックスで服装をそろえ、長袖シャツにネクタイを締め白いステットスン、そういうビル・モンローなどの写真で見る昔の伝統的バンドの外見を持ち、プロフェッショナル
な演奏は非常に安定したものでした。
「ここで友人を紹介しよう。」とボブに慣れた身には驚くほど良く喋るスタンレーさんが言い、
やっぱりボブ登場か!と思いみつめていると「どうぞ拍手を、ジョニー・キャッシュ!」と手のひらを上に向けました。ホントかよ、と観客が見守るなか巨体のバイオリン奏者がおもむろにキャッシュの物真似で「ハーイジョニーだ、呼んでくれてありがとう」と掛け合いを始めたのには笑いました。
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ランク・ストレンジャーズなど1時間半ほど演奏してましたが、20年以上同じメンバーだよ、とか
この一緒にやってる息子だけど彼が子供のころから一緒に旅してるよ
など言ったりし家族っぽい雰囲気満点でした。
1000回も言ってきたような口調で
「ノース・ヴァージニアの元市長だった」とスタンダップベース奏者を
紹介しており、やはりボブがバッキーを同じように紹介していたのはブルーグラスの流れか、と思わせました。
息子じゃないもう1人のギター奏者を紹介した時、
「彼のギターは全然聞こえない」
とアピールする観客の大声が聞こえましたが、スタンレーさんは困ったように「聞こえない?」と普通にききかえし
「全然だよ!音を上げてくれよ」「これくらいでどうだい?」「うん良くなった」
とポンポンとかわす二人のダイレクトな応酬は、非常に驚きでした。
演奏への不満というより単に音の大きさ問題だったようですが演者と観客の距離は近いようです。
休憩の間と終了後、スタンレーさんはCD購入者にもれなくサインをしており私はまだ持っていなかったボブとの共演が入ってる2枚組
Clinch Mountain Country
を買いました。
予定外のサイン会だったのか暗闇の中サインしてるスタンレーさんの姿は感動的でした。
携帯していたペン型懐中電灯で手元を照らしてあげると非常に感謝され、私は旅行前に受けたアドバイスに感謝しました。
「ありがとうございますスタンレーさん。」というとじっと見つめられ緊張しました。
私は3列目という絶妙の席(パイプ椅子)に座り、許可されていたので写真もビシバシと撮りました。
紹介のお兄さんが言うには実現に3年かかったそうですが、
こんな素晴らしい無料コンサートがあるとはニューヨークが羨ましい理由の一つです。
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菅野さんに会う
7月30と31日、ボブのツアー最後はロングアイランドのジョーンズ・ビーチでした。
マンハッタンから約一時間ほど、友人の車で到着、二日間とも帰りには会場の巨大な駐車場で車を判別するのに苦労しました。
bobdylan.com
を作っているダン・レヴィさんを紹介してもらって感激し、最前列のチケットを持ってらしたのに感嘆し、あなたのレビュー読んだよ、と言われ本当ですかと答え、通りすぎる顔なじみのボブファンにハーイと挨拶し、田舎者のように私はそのたび驚いていました。
二日間ともこのツアーを代表する標準的なセットリストでボブ達も抜群の演奏でしたが、ボブはデュエットへのやる気が薄れていたようで歌詞など満足に歌ってませんでした。
しかしそのぶんポールが頑張っており大喝采をあびていました。
ポールのバンドの人に聞いたんですが、舞台上で二人はいつも
観客についてお喋りして機嫌良く笑いあってたそうです。しかもボブはポールのメンバーにも毎回ハイと言ってたそうです。社交的やんかボブ!と意外な話でした。
31日、Watching the River Flow、完璧なギターの始まりはまた知らないブルースの登場かと思いましたが、春までのバッキーがいた頃バージョンとはまったく変わり、新しいブルースになっていてボブ炸裂でした。このギター3人バンドは相性ぴったりで完璧に整っていました。
初ツアーを終えたチャーリーの横に並び背中をたたき肩を抱いて奥へ消えてゆくトニーの笑顔は、さすがベテランと思わせ、バンドが大きな幸せな家族のように見え、ツアーの終わりらしい感動的な光景でした。
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休憩のあとポールが始まってからもアリーナの外、売店でTシャツを物色していると
菅野ヘッケルさんに会いました。もしかして菅野さんですか西村といいますが、と話しかけると
「西村位津子さんですか、いつもページ見てますよ」
と言われ、思ってもない好意的な反応にさらに驚き感激しました。
ポールは見ずに早めに帰るつもり、とおっしゃるのを良い事に
アリーナで歌うポールをBGMに色んなお話を聞かせていただきました。
途中で現れた私の友人も武道館のプロデューサーか、と感銘したりして誇らしい思いでした。
菅野さんもラルフ・スタンレーを見に行っていた、マディスン・スクエア・ガーデンには三浦久さんも来ていた、MSGのポールのゲストは彼の息子だよ、結構最近イートザドキュメントやレナルドとクララ日本公開の動きがあった、等々話はつきない喜びでした。
最後にお会いした菅野さんを筆頭に今回も旅行中お会いしたたくさんの人々のおかげでとても楽しく幸せに過ごせました。特に西村さんとトミーさん、バキーティ、ジョン&キャロルそれにセイディー&ラリーがいなければ色々な事がこんなにスムーズにはいきませんでした。
年の終わりの感謝の季節、今まで受けた全ての厚意にあらためて感謝したいと思います。
1999年7の月、ボブの追っかけで私はかつてなくラッキーに過ごせました。
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(1999/12/24)
(無料ライブのポスター)
7月の東海岸
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追記
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