How to Follow Bob Dylan
ボブ・ディランの追いかけ方

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ツアー・クルー


このツアー・レポートは
ボブ・ディランのツアーにサウンド・クルーとして同行している西村 哲さんから電子メールで送られてくるものを掲載しています。西村哲さんへの クルー・インタヴューもお楽しみください。



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    最終更新日: 1999/5/9(日)



    西村 哲(にしむら さとし): サウンド・エンジニア。
    1997年5月より Electrotec Productions, Inc(エレクトロテック プロダクションズ、アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロスアンジェルス)という音響会社に勤務。同年8月からボブ・ディラン・ツアーにモニターテクニシャンとして現在に至るまで10回のツアーに参加。1999年1月末より始まる北米ツアーにも参加予定。雑誌「プロサウンド」にサウンドエンジニアとしての日・米・欧の比較をディランのツアーをベースに執筆予定。(1999年1月5日現在校正中)





    ツアーレポート #11
    1999年5月2日日曜日

      今回の演奏曲目はビルのホームページでも公表されているようにこの2年間では特異なセットリストと思われます。前半がアコースティックギターバージョン、後半がエレクトリックギターバージョン、アンコールでも最低1曲はアコースティックの曲といった具合です。ドラムプレイヤーのデイビッドに聞いてみたところある意味で夏のツアーのリハーサルという可能性もある選曲(あくまで推測)ということでした。

      今回の会場は体育館、そして数カ所は屋内自転車競技場といった大きなところといわゆる普通のコンサート会場でおまけに入場者の定員が1400、1200、1800といった比較的小規模の会場もありました。

      初日のリスボン、それと数カ所のアリーナ席には椅子が設けられ指定席になっていましたがほとんどの体育館ないし自転車競技場が会場の場合はアリーナ席が立ち見で1、2階が指定席のようです。そのためお客さんも初っ端からノリがよかったのですが普通のホールのように指定席だと今一つお客さんも大人しくボブもそのあたりが気に入らなかったようです。初日に15分間インターバルがあったのも本当のところは選曲のやり直しが目的だったようです。

      さて4月28日のスロベニアでのコンサートは私がこの2年の間にわたってボブのライブを見てきて一番彼の笑顔が絶えずそしてコンサートそのものも良かったと言えます。会場はバスケットコートを主体にした体育館でした。アリーナ席は立ち見で左右の客席も自由席です。

      この日はライブの当初から彼の笑顔がこぼれ曲と曲の合間にはしきりにベースプレイヤーのトニィーに冗談を言っているようでした。普段彼はめったに観客のさし伸べた手に触れようとはしませんがこの日に限りアンコールの後最前列の一人の男性を指さして「君だ」と示した後彼の手にパチンと触れてから会場を後にしました。よほどその男性の仕草がボブの目に留まっていたのでしょう。その男性はその後多くの人から握手を求められたのは言うまでもありません。
      この日を含め翌日のコンサートの二日間だけ今回のツアー中にダブルアンコールをした日でした。

      もっとも30日のオーストリアでのライブは一転して終始不機嫌な感じに見えたボブでした。曲の合間にかなり強い調子でトニィーに何かを訴えているのが見えます。もっともそれも本編の最後の方になって今まで大人しく席に座っていた観客がどっと前に押し寄せてきた後は解消されたようにも見えました。

      5月1日のコンサートは春になり、スキー場の閉幕に伴うものでいままでエルトン ジョン、ティナ ターナー、 ジョン ボン ジョヴィらが1996年から毎年この時期にここでコンサートを開いてきたそうです。時期が時期ですので太陽がでていれば半袖ですごすことも不可能ではない、そんな気候です。また標高の高いところは別として南側の多くの斜面には地肌が出ておりました。

      この日はツアーで持ち回っている楽器のほとんどとマイクロフォンとケーブル、マイクスタンドだけを使用し、あとはすべて現地機材です。まずはスキー用のリフトのあるところの駐車場でツアートラックからチェーンをつけた4WDのトラックに機材を積み替えさらに標高のあるところで今度はブルドーザーのような大きな雪上車にそれらを積み替えて会場まで運ぶという実に手間のかかった作業でした。

      照明は暖房を兼ねたものが整然と正面と左右に一列ずつ並んでいるだけで常時点きっぱなしでおまけに一切色は付いておりません。せっかく来た照明オペレーターは結局何もしようがなく手持ちぶさたでした。さんざん他のクルーに「何しに来たんだ?」とからかわれていました。

      会場はリフトを上り切ったところにある大きなロッジの前の広場で主催者の発表では15,000人集まったということでした。もっともロッジのレストランのベランダから見ている人、近くの小屋の屋根に登ってみている人とそれぞれです。遠くでは雪合戦をしている人も見えます。
      演奏した曲目は特に普段とは代わりのないものでしたがこの日のように営業絡み(入場そのものはタダの場合)の場合ボブはたいてい1曲か2曲普段よりは少なく演奏します。

      さて、ツアーレポートは今回で一応終了です。1999年のボブとポール サイモンの夏のツアーには私は参加しません。このあとはトム ぺティ アンド ハートブレィカーズのツアーに参加することになりました。
      ここまでお時間をかけ読んでくださった皆さんに感謝いたします。またこのように私の文章を公表する場をもうけてくださった西村 位津子さんに感謝いたします。また機会があれば(たとえば何かのフェスティバルへの参加)#12をお送りしたいと思います。




    ツアーレポート #10
    1999年3月29日 月曜日

      明日30日はトム・ぺティのビデオ撮りの仕込み日兼リハーサルの日です。大きなスタジオでビデオ撮りの仕込みをし、その隣のスタジオでで1日リハーサルです。その夜リハーサル機材をバラシ、31日に再度大きなスタジオに運び、仕込んで、ビデオを収録します。

      ビデオ撮りと言ってもTV番組のビデオ撮りのことです。MTVというTV局はご存じですよね。こちらには他にもVH1という音楽専門局があります。その番組のためのレコーディングでした。ですから著名な監督などはいなくてディレクターが本番前にお客さんにどうやって収録をするかを説明し、下らない冗談で盛り上げていました。収録されたものは以下のものと数曲でした。

        Mary Jane's Last Dance
        Free Fallin'
        Swingin'
        You Wreck Me
        You Don't Know How It Feels
        I Won't Back Down (acoustic)
        Room At The Top
        Walls

      また4月1日にはトム・ウェィツのビデオ撮りもあるためもう一日その場に缶詰めです。2日、3日の金土曜日に休みをとり、ヨーロッパ行きの準備、日曜日に出発といった案配です。ちなみに関係ない話かもしれませんがトムのプロダクションマネージャーもアラン・サントスです。

      週末そして、きょう、月曜日とぐっと春めいてと言うより一気に初夏の感じです。




    ツアーレポート #9
    1999年3月03日 水曜日

      きのう2日に無事最終公演も終わり、久しぶりにアパートに戻ってきました。さて昨日のハウス オブ ブルースではU2のボノが登場したり、モニター卓の後ろにはボブの本番中ブルースブラザース2000の出演者たちが遊びに来たりとなかなか楽しませてくれました。

      この日の搬入はいつも通り朝9時から始まりお昼にはサウンドチェック。2時頃にはそれも終わりバンドも他のクルーも三々五々すぐ隣のホテルに戻りました。私もそうしたかったのですが急きょヨーロッパ公演で使う機材をこの日の本番終了後にコンテナにそのまま積むことになったため調子の悪かったところをなおしたり、持っていくものとLAの 事務所に戻すものを仕分けしたりと地味に働いておりました。

      それまで何も連絡がなかったため私はてっきり一度LAに機材を運び事務所でじっくり調子の悪いところを直せばいいと考えておりました。既に仕込みもサウンドチェックも終わった状態で何かを直すというのは実に面倒臭いもので事務所であれば30分かそこらで終わるものが2時間近くかかってしまいました。もっともヨーロッパでのトラブルは御免ですから、この際、念には念を入れて直しておきました。ヨーロッパではこんなものがというパーツがなかなか手に入らないものなんです。

      誰が設計したのかわかりませんがなぜか最前列の客席のフロアからステージまで1m80cmくらいあるため前よりのお客さんはさぞ首が痛くなったことでしょう。この日、ブルースブラザースの本番終了後はお客さんは一度全員退出し、改めて入場するという形でありました。

      ところでこの日、私はそのブルースブラザースの本番終了時間と再入場時間を勘違いして遅れていったため会場に着いたときには私が率先してやらなければならないセットチェンジはとうの昔に終わっており周りのクルーにさんざん今ごろ何しに来たんだとからかわれてしまいました。

      アパートに荷物をおいてすぐさま出勤です。今度はトム ペティ アンド ハートブレイカーズのリハーサル会場に機材の使い方の確認をしに行ったり、久しぶりに会うこちらのクルーに挨拶をしたりしました。3月9日からサンフランシスコのフィルモアという有名なライブハウスで行われる10日間のショーの仕込みを手伝いに行くためです。またその次の週末には代々木のオリンピックプールや大阪城ホールの1.5倍くらいあるLAのアイスホッケーアリーナで行われるマリリン メンソンの会場にスピーカーを仕込みに行ったりするためボブのツアーが一段落してもなかなかのんびりとは休めません。

      ボブのヨーロッパツアーには今のところ4月4日日曜日に出発し、5月6日木曜日にLAに戻ってくる予定です。前回もお伝えした通りあくまで予定ですが6月から7月にポールサイモンと全米の主要都市を回るツアーを行う予定です。8月は休み、9月にはもう一どこの顔ぶれでヨーロッパ公演をやるかもしれないというのがまだまだ大きな?の付いた 今年の予定です。




    ツアーレポート #8
    1999年2月28日 日曜日

      プロダクションツアー(*注1)最終日のポートランドのツアーもつつがなく終わりました。特にこれと言って変わったことがあるわけではなくいつもと同じようにショーは始まり、メンバー紹介以外これと言ったおしゃべりも無く、特別なものは一切ない(*注2)最終日でした。2月27日のアトランティックシティでのコンサートはホテルの中のホールが会場でした。ですから客席も750席ですしディナーもとれるようテーブルも並んでいます。またツアー用の機材で使用したものはほとんどの楽器とマイクロフォン8本、マイクスタンド3本だけで後はすべて現地の機材です。他の楽器と機材はネバダ州ラスベガスに向けてまだ走っている最中です。ラスベガスのふたつのショーではPAのスピーカー以外は通常通りの楽器と機材を使います。

      そういうわけできのうの私はほとんど仕事はありませんでした。強いて言えばマイクの置き方やケーブルをはわせる場所に決まり事があるためそういったことを自分でやったり現地の音響担当の人にお願いする程度で実に暇でした。

      さて、きょうはちょっと違う角度からのレポートです。本番中、私は客席から向かって右側の奥にいます。そこからはお客さんもよく見えます。特に最前列のお客さんは時には朝から並んでその場所をゲットしたわけですからまったく頭が下がります。

      今回のツアーは半分以上がジェネラルアドミッションといってアリーナ席には椅子はなくライブハウスのようにそれこそ早い者勝ちでボブに近いところをゲットできるわけです。そんな状況の中で初めの2週間くらいは少し年配の女性が毎回ボブの真ん前を陣取っていました。

      カーボンディルのホテルでは知らない男性からいきなり「クルーの一人だよね」と声をかけられさらに「ラスベガスのチケットがどうしても手に入らないんだけどどうにかならないか?」と尋ねられ困りました。幸い隣室のクルーがちょうど出かけるところで「そういうことは我々クルーサイドでもどうにもならないんだ」と言ってごまかしてくれましたが、、、。(本当はどうにかなると思いますよ、ただしここだけの話し。)

      お客さんたちはまさに十人十色、百人百様です。演奏中は身動きもせずひたすらボブを見つめていて演奏が終わるとこれでもかというぐらいに大きな身振りで拍手をする人。曲に合わせ周りの人のことなど眼中にない様子で全身を使い踊りまくっている人。これほどの幸せはこの世にはないと言った感じで満面の笑みを浮かべながらボブを見入って いる人。

      ボブが何をしていようがお構いなく、連れや隣の人とひたすらしゃべっている人。すきがあればステージに駆け上がろうと耳は演奏を聞いていても目はセキュリティをきょろきょろ見ている人。などなど実にさまざまな顔がそこにはあり毎回楽しんでいます。

      私ですか?私は目はステージ上とお客さんを見ていますが耳だけは仕事をしています。先日もたまたまステージの後ろを通って反対側に移動しているとき楽器のケーブルが抜けたような大きな音が聞こえました。何事かと急いでモニター卓のところに戻るとPAのスピーカーが揺れているのが見えます。つぎに床に目をやるとセキュリティが数人がかりで一人の男性をはがいじめにしています。さらにモニター卓のふたが倒れています。

      話しを総合すると2階席からモニター卓のふたに降り、ステージに駆け上ろうとしたもののそのふたが不安定だったため着地に失敗、よろめきながら吊ってあるスピーカーケーブルを伝ってステージに上ろうとしてセキュリティに取り押さえられたということでした。世の中には実にいろいろな人がいて楽しませてくれます。

      きのうの第一部のショウのお客さんは比較的地味でした。客席にテーブルと椅子ががところ狭しと並んでいたためという理由もあったかと思います。問題は二部です。

      アンコール最後の曲 Not Fade Away の途中で一人の女性が踊りながらボブに近づいていきます。通常であればツアーにいつも付いているセキュリティのバロンがすぐに止めに入るのですが彼がたまたま楽屋にボブのためにタオルを取りに行っていたためだれも彼女を止めようとしません。しばらくして2人目、そして3人4人とたちまちステージ上は50人くらいのお客さんで埋まってしまいました。幸い皆せめてボブに触れればという人達ばかりでしたので多少演奏に支障を来たしたものの特にこれと言ったトラブルも無く何とか演奏を終え、ボブとバンドはステージを後にしました。

      その際ベースのトニーはとにかくドラムのディヴとの目線を確保。ディヴのドラムセットはいちだん高い台の上にあることとモニタースピーカーが彼の後ろに並んでいるためだれも入れません。スティールギターのバッキィーはひたすら座って下を向いて弾いていました。残念ながら私のところから多くの観客の影でギターのラリーの姿は見えませんでした。3月1日の会場も同じ様な大きさの客席ですがステージそのものは小さくなります。ここには昨年ホィットニィー ヒューストンの大晦日のショーの際に機材を提供したため覚えがあります。

      今朝早くの飛行機でフィラデルフィアからラスベガスに移動しました。泊まっているホテルはHotel LUXORといい真っ黒いピラミッドの形をしています。ご承知の方もいることでしょう。部屋からは3月2日の会場のあるMANDALAY BAYホテルが見え、その大きな広告塔で盛んにグランドオープニングの催しのビデオを放映しているのが見えます。ボブディラン、ザ ブルース ブラザース、シェリル クロウなどです。

      6月から7月にスタジアム、シェド(日本にはこれに相当する規模の屋外イベント会場は見あたりません。強いて言えば読売ランドイーストのずっと大きくしたようなかたちです)ツアーの予定があります。今のところ北米だけということですがいずれにせよ詳細は未定です。

      以下は演奏をした曲目です。


      2/27/1999 Atlantick City. NJ 7:30pm

      RIVER FLOW
      LAY LADY LAY
      I CANT WAIT
      JUST LIKE A WOMAN
      SILVIO
      COCAINE
      MASTERS
      TANGLED
      FEEL MY LOVE
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      TWICE
      NOT FADE AWAY

      2/27/1999 Atlantic City. NJ 10:30pm

      TO BE ALONE
      BIG GIRL
      I CANT WAIT
      SHE BELONGS TO ME
      MEMPHIS
      AIN'T ME BABE
      TAMBOURINE
      TANGLED
      FRIEND OF THE DEVIL
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      BLOWIN'
      NOT FADE AWAY




    ツアーレポート #7
    1999年2月21日 日曜日

      ツアーも後半に入りいよいよ本格的に寒いところにやってきました。幸いまだ積雪のためクルマがストップしたり遅れたりということはありません。

      2月15日(Grand Rapids. MI)がオープニングアクトを務めたブライアンセッツァーオーケストラの最終日でこの日とその数日前の計二回ボブ ディランの本番中に彼だけ、あるいはホーンセクションだけ4ないし5名、そして時には彼とホーンセクションが加わりショーを盛り上げました。またこの日はブライアンセッツァーオーケストラのショーの最中にトニーが一曲だけベースを弾いていました。

      2月19日(Binghampton. NY)の会場はさほど大きなアイスホッケーアリーナではありませんでしたがお客さんが360゜にわたり入場することになっていたため普段と違い真後ろに向けてもスピーカーをセットしました。それほど大した手間ではありませんでしたがそれよりも客席内の電灯の消灯後の歓声、そして

      "Good evening ladies and gentlemen, would you please welcome, Columbia recording artist BOB DYLAN!"

      のあとの大歓声はツアーの疲れをほんのひとときは忘れさせてくれるほどすさまじくスタッフ冥利に尽きます。今までにも数回360゜のお客さんというパターンはありましたが、お客さんの数からいえば昨年秋のニューヨークのマディソンスクエアガーデンでのそれはさらに輪を掛けた大歓声でおまけにアンコール前のライターの灯も実に綺麗なものでした。日本では消防法の都合で係りの人がすぐに飛んできてやめさせられてしまいますが、、。

      以下は演奏をした曲目です。


      2/09/1999 Dayton. OH

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      RIVER FLOW
      BLIND WILLIE MCTELL
      SILVIO
      TAMBOURINE
      FRIEND OF THE DEVIL
      DESOLATION
      TANGLED
      FEEL MY LOVE
      'TILL I FEEL IN LOVE
      HIGHWAY

      LOVESICK
      RAINY DAY
      DON'T THINK TWICE
      NOT FADE AWAY

      2/10/1999 Columbus. OH

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      MEMPHIS
      SIMPLE TWIST
      SILVIO
      TAMBOURINE
      FRIEND OF THE DEVIL
      NORTH COUNTRY
      TANGLED
      HONKY TONK BLUES
      I CAN'T WAIT
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      MAGGIE'S
      BACK PAGES
      NOT FADE AWAY

      2/12/1999 Carbondale. IL
      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      MAGGIE'S
      SHELTER
      COLD IRONS BOUND
      SILVIO
      RANK STRANGER
      BABY BLUE
      TANGLED
      BACK PAGES
      'TILL I FELL IN LOVE
      4TH ST
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      PILLBOX
      BLOWIN' THE WIND
      NOT FADE AWAY

      2/13/1999 Normal. IL

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      RIVER FLOW
      SHE BELONGS TO ME
      SILVIO
      COCAINE
      MASTERS
      LOVE MINUS ZERO
      TANGLED
      FEEL MY LOVE
      MR. JONES
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      RAINY DAY
      BLOWIN' THE WIND
      NOT FADE AWAY

      2/14/1999 South Bend IN

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      MEMPHIS
      BIG GIRL
      SILVIO
      TAMBOURINE
      DESOLATION
      TANGLED
      TIMES
      MAKE YOU FEEL MY LOVE
      I CAN'T WAIT
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      PILLBOX
      DON'T THINK TWICE
      NOT FADE AWAY

      2/15/1999 Grand Rapids. MI

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      MAGGIE'S
      JUST LIKE A WOMAN
      SILVIO
      STONE WALLS
      MASTERS
      BABY BLUE
      TANGLED
      HONKY TONK BLUES
      MR. JONES
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      RAINY DAY
      DON'T THINK TWICE
      NOT FADE AWAY

      2/17/1999 Cleveland. OH

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      RIVER FLOW
      FEEL MY LOVE
      MEMPHIS
      TAMBPURINE
      FRIEND OF THE DEVIL
      TANGLED
      FOREVER YOUNG
      'TILL I FELL IN LOVE
      4TH ST
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      BROKEN
      DON'T THINK TWICE
      NOT FADE AWAY

      2/18/1999 Bethlehem. PA

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      MAGGIE'S
      I WANT YOU
      MEMPHIS
      MASTERS
      MAMA
      TANGLED
      RAMONA
      I CAN'T WAIT
      4TH ST
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      PILLBOX
      BLOWIN' THE WIND
      NOT FADE AWAY

      2/19/1999 Binghampton. NY
      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      RIVER FLOW
      FEEL MY LOVE
      MEMPHIS
      MASTERS
      ONE TOO MANY MORNINGS
      TANGLED
      FRIEND OF THE DEVIL
      'TILL I FELL IN LOVE
      EVERY GRAIN
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      BROKEN
      BLOWIN' THE WIND
      NOT FADE AWAY

      2/20/1999 Lake Placid. NY

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      RIVER FLOW
      FEEL MY LOVE
      SILVIO
      MASTERS
      TAMBOULINE
      TANGLED
      NORTH COUNTRY
      'TILL I FELL IN LOVE
      SHELTER
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      PILLBOX
      DON'T THINK TWICE
      NOT FADE AWAY




    ツアーレポート #6
    1999年2月8日 月曜日

      ツアーが始まる当初はどうしても仕込みに時間がかかりますが3ないし4現場を過ぎてくるとそれもスムーズに進むようになります。そうなると考えることは今度はいつ休みなのか、後何回搬入、搬出を終わらせれば休みなのかとそういうことしか頭に浮かんでこなくなります。ファンのかたから見ると何をもったいないとお思いになるでしょうがあくまでそれを仕事として参加していると他のことは考えらなくなってしまいます。

      普段、搬入が始まるのが午前9時です。ボブの本番が終わるのが午後11ごろ。最後のトラックの扉が閉まるのが午前1時ごろ。最後のクルーがシャワーを浴びてバスに戻ってくるのが午前1時半ごろです。そこから次の現場に移動します。今回の運転手はなかなかていねいな運転をしてくれますが道路の悪状況までは避けられません。夜中に振動で何度も目を覚ましています。ゆっくり寝られるのは会場に着いてバスが駐車した後とオフの日だけなんです。

      今まで10回ほどツアーに参加してわかったのはショーは3日ないし4日続けてあり翌日が休日です。その間毎回会場は異なります。同じ場所で2回以上続けてショーがあったのはまだ片手にも満たない数です。(ただし、1997年末のクラブツアーは除きます)私の勤めている会社ではロッド スチュアートにも機材を提供しております。彼のスケジュールはもっと休みが多いのも知っています。この辺はボブ本人、マネージメントサイド等のそれぞれの絡みもあってのことでしょう。

      2月2日のペンサコーラでのコンサートの際のことです。この日のボブは終始上機嫌で笑いをこらえるのがやっとといった感じでした。演奏が終わるたびにお客さんに背中を向けると満面の笑みが見えました。また本番が終わって袖に戻ってくるときも顔がほころびっぱなしです。いったい何があったのでしょう?お客さんの数がやや少なかったもののたしかにこの日は反応もよく、アリーナ席前方では絶えず、数人、時には10人近い若い女の子が肩車をさせられながらショーを見ていました。同行の男性の苦労が忍ばれます。彼女たちはじっとしているわけではなく踊っているわけですからね。2月6日ナッシュビルではほぼ満員の会場でのBABY BLUEの大合唱はなかなかの圧巻でした。

      以下は演奏をした曲目です。


      2/01/1999 Talahassee. FL
      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      RIVER FLOW
      BLIND WILLIE MCTELL
      SILVIO
      STONE WALLS
      DESOLATION ROW
      TIMES
      TANGLED
      HONKY TONK BLUES
      I CAN'T WAIT
      HIGHWAY

      LOVESICK
      PILLBOX HAT
      DON'T THINK TWICE
      NOT FADE AWAY

      2/02/1999 Pensacola. FL

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      MEMPHIS
      QUEEN JANE
      SILVIO
      ROCK OF AGES(G)
      MASTERS
      FRIEND OF THE DEVIL
      TANGLED
      HONKY TONK BLUES
      I CAN'T WAIT
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      BROKEN
      BLOWIN' IN THE WIND
      NOT FADE AWAY

      2/03/1999 New Orleans. LA

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      MEMPHIS
      MAKE YOU FEEL MY LOVE
      SILVIO
      STONE WALLS
      MASTERS
      NORTH COUNTRY
      TANGLED
      HONKY TONK BLUES
      I CAN'T WAIT
      HIGHWAY

      LOVESICK
      PILLBOX
      BLOWIN' THE WIND
      NOT FADE AWAY

      2/05/1999 Memphis. TN

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      MAGGIE'S
      MAKE YOU FEEL MY LOVE
      SILVIO
      BLUE EYED JANE
      BABY BLUE
      FRIEND OF THE DEVIL
      TANGLED
      TAKES A TRAIN
      I CAN'T WAIT
      HIGHWAY

      LOVESICK
      BROKEN
      DON'T THINK TWICE
      NOT FADE AWAY

      2/06/1999 Nashville. TN

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      MEMPHIS
      MAKE YOU FEEL MY LOVE
      SILVIO
      STONE WALLS
      BABY BLUE
      FRIEND OF THE DEVIL
      TANGLED
      HONKY TONK BLUES
      I CAN'T WAIT
      HIGHWAY

      LOVESICK
      PILLBOX
      BLOWIN' THE WIND
      NOT FADE AWAY

      2/07/1999 Bermingham. AL

      SERVE SOMBODY
      MILLION MILES
      RIVER FLOW
      MAKE YOU FEEL MY LOVE
      SILVIO
      BLUE EYED JANE
      BABY BLUE
      TIMES
      TANGLED
      HONKY TONK BLUES
      I CAN'T WAIT
      HIGHWAY

      LOVESICK
      MAGGIE'S
      DON'T THINK TWICE
      NOT FADE AWAY


    ツアーレポート #5
    1999年1月31日 日曜日

      ツアーバスは午前1時半ごろ会場を後にし、朝の7時前に明日の会場があるタラハッシィのホテルにチェックインしました。タンパからは277マイル(約450km)離れていることになります。きょう31日、日曜日はそれこそサンクスギビングデイ、クリスマスに次ぐアメリカ国民にとって大事なスーパーボゥルの日です。極端な話し、だれも働かない日かもしれません。

      この26 フォートマィヤース28 サンライズ29 デイトナ30 タンパを振り返ってみますと、、、(演奏曲目はこの章の最後をご参照ください)今回のスペシャルゲストスターはブライアン セッツァー オーケストラです。彼のバンドが果たして関係あるのかはわかりませんが今回、アリーナ席はジェネラルアドミッションといって椅子は一切ない立見席です。一階席以降だけが指定席になります。開場と同時にそれはもうすさまじいほどの競争を毎回見られます。係りの人がいくら「危険だから走らないように」と注意してもそんなこことはだれも聞く耳を持っていません。

      9時半がボブのショーの時間です。この4日間に限っていえば白いシャツに黒の上下、黒の蝶ネクタイ、黒の靴というのがパターンでした。微妙な違いが毎回あったのでしょうが私はそこまで見ていません。(ごめんなさい)まったくいつもと同じ調子で、それこそ「ハロー・エブリバディー」とメンバー紹介以外のおしゃべりは一切無くショーは淡々と進みました。


      1/26/1999 Ft. Myers. FL
      (演奏予定曲目
      )
      SERVE SOMBODY/NOT FADE AWAY
      I'LL REMEMBER YOU
      MEMPHIS
      BLIND WILLIE
      RIVER FLOW
      BLUE EYED/COCAINE/STONE WALLS
      (SIMPLE TWIST/NOT SUPPOSED)
      ROCK OF AGES/TAMBOUURINE
      (NOT FADE AWAY)
      TANGLED
      (TOUGH MAMA/LONG BLACK COAT)
      ONE TOO MANY MORNINGS/TIMES
      FEEL MY LOVE/YOU'RE TOO LATE
      HIGHWAY

      LOVESICK
      PILLBOX HAT
      BLOWIN' IN THE WIND
      CAN'T WAIT
      FOREVER YOUNG


      1/28/1999 Sunrise. FL(
      演奏した曲目)
      SERVE SOMBODY
      SENOR
      SILVIO
      JUST LIKE A WOMAN
      I CAN'T WAIT
      STONE WALLS
      DON'T THINK TWICE
      TIMES
      TANGLED
      FEEL MY LOVE
      HIGHWAY

      LOVESICK
      PILLBOX HAT
      BLOWIN' IN THE WIND
      NOT FADE AWAY



      1/29/1999 Daytona Beach. FL
      (演奏した曲目)
      SERVE SOMBODY
      IF NOT FOR YOU
      COLD IRONS BOUND
      YOU AIN'T GOIN' NOWHERE
      MR. JONES
      ROVING GAMBLER
      LOVE MINUS ZERO
      TANGLED
      BACK PAGES
      'TILL I FELL IN LOVE
      YOU'RE TOO LATE
      HIGHWAY

      LOVE SICK
      NOT FADE AWAY
      BLOWIN' IN THE WIND
      RAINY DAY



      1/30/1999 Tampa. fl
      (演奏した曲目)
      SERVE SOMBODY
      LONG BLACK COAT
      MEMPHIS
      NEVER BE THE SAME
      SILVIO
      COCAINE
      HARD RAIN
      TANGLED
      FOREVER YOUNG
      'TILL I FEEL IN LOVE
      FEEL MY LOVE
      HIGHWAY

      LOVESICK
      PILLBOX
      BLOWIN' IN THE WIND
      セットリストはアルがタイプしたものが手許にあるのでそのまま載せました。


    ツアーレポート #4
    1999年1月25日 月曜日

      きょうは「Production Load In」の日といっていわゆる「前仕込み」をしてきました。BOB本人とバンドはきょうまでマイアミでリハーサルですので楽器以外のものをすべて仕込み、チェックをし、会場を後にしました。照明チームは今この時間はフォーカス(照明の電球の向き、角度の調整)の最中です。

      地方によりその現地で手伝ってくれるクルーもさまざまですがきょうは実に吊り点を取るのに「時間のかかった」日でした。多くの照明、音響の機材を天井に張ってある梁からチェーンモーターで吊ります。そのポイントをとってくれる人達の仕事がとても遅かったのでもしこれが本番日だったらと思うとゾッとするほどの内容でした。まぁ、それでも無事に終わったのでそれ以上は良しとしましょう。明日はいよいよこのツアーの初日です。





    ツアーレポート #3
    1999年1月21日 木曜日

      あす、金曜日は休みをとりました。もっとも完ぺきな休みではなくどうしても会社に顔を出しにいかなければなりませんが。他には一カ月留守にするので部屋中の掃除、洗濯、またツアー中に必要な消耗品の買い出し、散髪、等等忙しい週末です。




    ツアーレポート #2
    1999年1月20日 水曜日
      実際に働く身としてはなるべく早くそして正確な情報が欲しいところです。今、社内やクルーサイドで気になっていることは一体いつからヨーロッパツアーが始まるのか、その機材はどこから送るのか? などです。東海岸(2月25日のポートランドのショーの後?)から船で送るのかあるいは西海岸(3月2日のラスベガスのショーの後?)から飛行機で送るのか、、、。

    (インタヴュー / 上へ



    ツアーレポート #1
    1999年1月16日 土曜日

      きょうは本来は休みの日ですが出勤してきました。 BOB DYLAN用のPA卓とその周辺機器のチェックをするためです。機材の積み込みは19日火曜日の午後の予定です。初日の現場がフロリダですからLAからだと6日間前後の時間が必要です。 毎回ツアー前はこうして休日出勤、早出と残業があたりまえのようになってます。






    注釈
    *1
    プロダクションツアー

      最後のアトランティックシティ公演、ラスベガスの2公演は別の言い方をすれば営業の日でした。ラスベガスの最初の公演はコーポーレートショーと言うものです。たとえば東急電鉄の株主総会を東京渋谷の映画館でやった後第一日目のその日の映画を無料で見られるように何かの会社の集まりがありそのイベントの一環として行ったものです。よってそこにいたお客さんはボブディランそのもののファンという人は余りいなかったでしょう。ラスベガス二日目の公演はハウスオブブルースというライブハウスのオープニングセレモニーのゲストという形でした。アトランティックシティの公演が具体的にどういうものであったのかは知りません。

      会場がどこもライブハウスないしそのようなところでしたから基本的にはその会場の照明、音響の機材はあります。よって使う機材やクルーも制限がありました。つまりその会場での必要度の低いセクションのクルー、機材は最後の3公演には参加していません。それは、ツアークルーのバスとその運転手、ケイタリング機材とそのクルー、ライティングの機材とそのクルーです。もちろんそれらを運んでいたトラックの運転手とも(プロダクションツアー最終日の)ポートランドでさようなら、です。(西村 哲)


    *2
    > 特別なものは一切ない最終日でした。

      指を差して「これですよ」と言いたいくらいにここで感じたのがスタッフとファンの見方の違いの面白さでした。 だからここを読んで私はとても嬉しかったんですが、この日はボブ・ファンにとっては夢のような公演だったはずです。 多分いつものような演奏だったはずですが演奏された曲目はそれはかなりな曲でした。

      この日は10年か何年ぶりかに演奏された曲が2曲(Visions Of Johanna とPledging My Time) 1年に1、2回しか登場しない曲が2曲(I'll Remember You と Positively 4th Street) ボブ・ディランの60、70、80、90年代を代表出来る曲がそろい、しかもグレイトフル・デッド関連曲が(カバー含めて)3曲 (Silvio、Friend Of The Devilと Not Fade Away ) とファンは涙の選曲でした。それが冷静な客観的視線で説明され私にはとても面白かったです。ページ作ってて良かったと思いました。(西村位津子)





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