人物紹介 |
William (Bucky) Baxter
Pedal Steel Guitar, Lap steel guitar, Dobro,
Guitar (Steel, Acoustic, Electric), 6-striing Bass,
Mandolin, Zither, Vocals, Vocals (bckgr)
1999年欧州ツアーを最後にボブのツアー・バンドを惜しまれつつ引退しました。 彼の加入から7年間、もし舞台の奥の方にいて姿が見えなくてもいつでもその音をきけば彼の存在が確認できました。 彼のスティールギターがボブの音楽に与えた影響は絶大で 1995年12月の Dark Eyes, カントリーのカバー曲などではまさに大活躍でしたが、淡々とストイックに演奏する姿が印象的です。1996年の夏頃は髪を短く金髪にしていました。スノーボードや釣りもたしなむそうです。 buckybaxter.com を開設し、今後はソロで自分の音楽を演奏します。
録音参加作品 (詳細は All-Music Guideへ)
year artist title
1986 Steve Earle Guitar Town 1987 Steve Earle Exit O 1988 Steve Earle Copperhead Road 1988 REM Green 1990 Steve Earle The Hard Way 1991 Steve Earle Shut up and Die Like an Aviator (Live) 1992 Suzy Bogguss Voices in the Wind 1993 Paul Metsa Whistling Past the Graveyard 1995 Bob Dylan MTV Unplugged 1995 Bob Dylan Dignity [single CD] 1995 [Various Artists] Woodstock 1994 1996?Townes Van Zandt ? 1996 Steve Earle Ain't Ever Satisfied: The Steve Earle Collection 1996 Joe Henry Trampoline 1996 Jim Lauderdale Persimmons 1996 [Various Artists] Rock & Roll Hall of Fame 1997 Sara Evans Three Chords & the Truth 1997 [Various Artists] Songs of Jimmie Rodgers -Tribute 1997 Bob Dylan Time Out of Mind 1992 Steve Earle BBC Radio 1 Live in Concert Steve Earle
(London live Recording on Nov 29, 1988, released in Europe only)1997 Bob Dylan Not Dark Yet [single CD] 1998 Bob Dylan Love Sick [single CD] 1999 Bob Dylan Not Dark Yet [Japanese single CD] 1999 Bucky Baxter Most Likely, No Problem (recorded in 1993)
メモ
- ボブのツアーバンドとして最初の公演: 1992年3月18日オーストラリア パース
- 最後の公演: 1999年5月2日ドイツ ミュンヘン
- 1986年スティーブ・アールのバンド ザ・デュークスに入り彼らがサポートアクトをつとめた 1989年夏のツアーで初めてボブと共演しています。
- 1989年8月19日イリノイ州スプリングフィールド
- 1989年8月25日ニューオーリンズ
- 1989年8月26日ヒューストン
- 1989年8月27日ダラス
- 1989年8月29日レスクルサス、ニュー・メキシコ
- ニュージャージー出身ですが、その後現在まで長くテネシーで暮らしています。
- ボブのツアーでは主にペダル・スティール・ギターを演奏、そのほかマンドリン、ドブロ、ラップ・スティール・ギターなどを担当しまれにボックスオルガンも演奏しました。ボブとの公演回数は739回だそうです。
- 1999年6月2日 ニューズグループ rec.music.dylan へ Message from Bucky Baxter が投稿され彼がツアーで使用していた楽器がE-Bay で売りに出されていると伝えられました。ウェブサイト Instruments From the COLLECTION of BUCKY BAXTER も同時期開設され、バッキーがそれぞれの楽器を持った4枚の写真を見る事も出来ました。
- コンサートでは良く「ウエスト・ヴァージニア州ブルーフィールドの元市長」とボブに紹介されていましたが、これはビル・モンローを意識したボブ・ジョークと考えられます。1999年7月28日NYでラルフ・スタンレー(ビル・モンローの後継者)もベース奏者を "ノース・ヴァージニアの元市長"と紹介していたようにブルー・グラスの伝統かもしれません。
(参考 rec.music.dylan/HWY61-Lへの投稿)
- そのほか「ビル・モンローの初期の録音でも演奏した」 「ただ死ぬの見たさにある男を撃った」 などの紹介が知られています。(後者はジョニー・キャッシュの歌 フォルサム・プリズン・ブルースの歌詞)
- 自身のアルバム "Most Likely, No Problem" は1999年内発表予定です。そのほか今後のツアーや音楽活動については buckybaxter.com で発表される見込みです。
- 雑誌 Rolling Stone 822号で この10年のベストコンサートに ボブ・ディランの1997年ニューヨーク、アーヴィングプラザ公演が選ばれたのを受けて、 インタビューされたものが掲載されています。
- 1999年8月5日発売の雑誌ビートレグ vol.5に「Farewell Bucky Baxter」という写真入り記事が掲載されています。小沢大介さんの記事は、1999年5月の欧州公演で引退するまでの7年以上にわたる バッキーの演奏についての愛情に満ちた分析です。バッキーのディスコグラフィも掲載されています。
- ディランのファンジン ISIS 1999年6、7月号 Issue85 に「A Chat with Bucky Baxter」 というデレク・バーカーさんによる1999年6月5日電話でのインタビューが掲載されています。
「A Chat with Bucky Baxter」 Derek Barker
(以下抜粋の拙訳)
DB: なにがあったか教えてもらえますか?
BB: ずっとツアーに出ているのが嫌になったんだ。ボブはラリーをペダルスティールとフィドルの演奏に回して チャーリー・セクストンを雇ったんだよね、それは良かったと思う。
DB: いつ辞めたんですか?
BB: ヨーロッパツアーでスペインに行った頃、ボブは少し神経質な感じで僕の演奏に満足してなかったんだ。 だから、僕は自分でできる限りの演奏をしているしもしそれで彼が幸せじゃないのなら僕はもう続ける気分にはなれないよ、とジェフ(クレイマー/ボブのマネジャー)に告げて、誰か他の人を探した方がよいよと言ったんだ。
DB: 演奏はどう変わったんですか?
BB: いいや僕の演奏は変わりなかったよ。ただ、彼のやり方だと思う。僕は良い雰囲気の中でやめたしつらい気分もない。幾つか曲をかいていたし、僕のキャリアで自分のレコードを出すポイントにきたということだね。
DB: ボブ・ディランと7年間ツアーするのはどんな感じですか? 長い期間ですよね。
BB: 僕たち頑張って働いてたからね、本当に休みないツアーだったし色々な楽しい事ができなかった。僕は釣り人なんだよ。育ち盛りの2人の子供も僕がツアー中に成長していたよ。なにしろ僕はボブの前にもスティーブ・アールと5年近くツアーしてたしね。
DB: 1993年ごろあなたは自分の作品のテープを持ってましたよね?BB: そう、今それをリリースするつもりにしてる。でも録音はいつでも有効だから、それは今ちょっと後まわしにしてる。それに今僕はインターネットをもっと理解できるようになったから、そこで公開もできるし。
DB: アルバムはインストルメンタルがほとんどなんですよね?
BB: そう、でも自分で歌うつもりの曲も半分くらい書き上げてるんだ。声も鍛えていて 2、3回この辺りでギグもやってるよ。1人でギターだけ持って。ここテネシーに自分のスタジオを作ってるんだ、まわりには木が立ち並んでいて奇麗な場所だよ。そこで自分の仕事をすすめたいし、若手バンドも手助けしたいと思ってる。
そのインストルメンタルアルバムは"Most Likely, No Problem"とよんでる。クリスマス前の発売はなさそうだね。 ロジャー・ニコルズがミックスしてくれたけど、僕はこの6週間のうちに編集なんかして出すつもりにしてる。僕たちは新しいコンピューター・レコード・レーベル・シーンに飛び込むんだよ。ただ、良い音楽を作りたいんだ。聴くに値する質の良いレコードを作ったって言われたい。
今の音楽業界には制限があるけど、僕はそれにうんざりしている。ポップ・ミュージックの世界では、どれだけ多くの人に気に入ってもらうかという心配ばかりしているけれどそれは残念な事だよ。僕にとっては、1000人が自分の音楽を気にいってくれるなら、それは大勢に思えるよ ! 20人30人、それでも充分だよ。僕はクラブで200人を前に演奏するのが大好きなんだ。グレタ・ゲインズの新しいシングルをプロデュースしたんだ。彼女は僕の昔の恋人でアルバムの何曲かは一緒に作曲したんだけど、それは数週のうちに発売されるよ。
DB: あなたは幾つかギターを売りに出してるんですよね。
BB: そうなんだ、それでいつも僕のコンピューターをつけると 5、60通のメールが届いてるんだ。それは僕がギターを売りに出してから毎日続いてるんだよ! 僕の居間はギターで一杯なんで一部を減らそうと思って e-bayに4本のギターを売りに出した。 友人がディランのサイトの一つに連絡してくれて、それからこのメールが届いてるんだ。すごく親切な内容ばかりだよ。僕は誰も気にしてないと思っていたんだ、本当のところ。だって僕はギグしかしていなかったし、それは演奏ができたか出来なかったというだけだった。
僕は後ろにいて 本当にたいして演奏はしていなかったし、それで良かったんだ。つまり僕は、ファンがそれほど僕の演奏を気にしてるなんて思ってなかった。でもね、彼らは本当に親切なことを書いてきてくれるんだ。DB: 後ろにいた、といいますけどあなたの楽器演奏がディランの演奏を変化させたと思いますよ。良い方に変わりました。
BB: そう僕は変えようとした、もう少しメロディックに、できるだけ。でも彼はあんまり許してくれなかったけど。
DB: どれくらいディランは演奏面での自由をあたえたんですか?
BB: 状況次第だよ。 もし僕の音が彼の音の範疇ならその時は良いんだよ(笑う)。そうじゃない時は、僕はあの目つきをもらうんだ。皆見たことあるはずだけど、あんなふうに見るんだよ!
DB: リハーサルで練習した後は、あまり見通しがきかないと?
BB: そんな感じだね。ボブはとても秘密主義だから彼の事をなんでも直接的に喋るのは変な気分がする。僕はまだ彼に忠実だし、舞台裏で何が起こってるかを喋りすぎるのを彼が望むとは思えないからね。
でも、それが彼のやり方だね。それは彼の歌だし、彼ができる最高の方法でコントロールしてる、望む音を鳴らせている。それに彼はとても才能がある人間だしね。彼の頭の中では音が鳴ってる。それはすごいよ。僕は色々と彼から学んだ。色々な種類の音楽についてもたくさん。彼にはとても感謝してる。DB: 7年と700回のコンサートのあと、あなたが去るのをみるのは残念です。
BB: 700回僕はそれよりもっと多いと思ってた。それより多く思えるよ(笑う)。とにかくたくさんだった。今まで一緒に演奏した誰とよりも多い。それまで僕は 3、4年一つのバンドで演奏するのが良かったんだ飽きてしまうまで。でもボブとはすごく長い間だったね。それは良かった、楽しいこともあったし僕たちは世界中を旅してまわったよ。
[ISIS issue 85, p24-25]
参考
- ISIS, Issue 73, p43 & issue 85, p24-25
- All-Music Guide: Bucky Baxter
- Bob Dylan and the Never Ending Tour Band
- EDLIS The Bob Dylan Who's Who
- Olof Bjoner's Yearly Chronicles
- Tangled Up In Tapes by Glen Dundas
- Bob Dates (Bob Links)
- rec.music.dylan/HWY61-Lの投稿 (Deja.com)
- buckybaxter.com
- The Original Unofficial Steve Earle Site: Steve Earle's Dukes
更新日: 2000年1月16日
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