追っかけ日記 - 2002英国公演
文:西村位津子
<VFF20242@nifty.ne.jp>
日程
5/07 大阪-香港-ロンドン
5/08 ロンドン-ニューキャスル
5/09 ニューキャスル-マンチェスター-レスター
5/10 レスター-バーミングハム-レスター
5/11 レスター-ロンドン
5/12 ロンドン
5/13 ロンドン-香港-大阪 (5/14着)
ツアープログラム (8ポンド)
5月7日火曜日
大阪-香港-ロンドン
雨。関西空港でビニール傘を捨てる。空港に到着したのは出発1時間半前。すでに通路側の席は取れず、ちょっとへこむ。
このイギリス旅行の合言葉は「エコノミー」である。貧乏者に無駄遣いはゆるされない。持参したパンと水を飲む。3時間強、香港で乗り換え。初めて乗るキャセイ・パシフィックはナカナカ快適だった。(81000円+諸費)
機中、白ワインを飲みながら映画「マジェスティック」に涙。ジム・キャリーって、チャーリーに似てる。隣のグラスゴー出身のパイロットの奥さんから、今からいくニューキャスルは「アクセントが変わっているのよ〜」と教えてもらう。英会話に若干の不安を覚える。持参した文庫本3冊のうち2冊を読み終えてしまい、このあとの旅行で読む本が無くなる事にも不安を覚える。
5月8日水曜日
ロンドン-ニューキャスル
ヒースロー空港に予定通り到着。現地時間05:05着。合計約19時間の空の旅だった。空港で両替。(約307ポンド)余ってたフランスフランも首尾良く変えてもらえ、ほっとする。これで多少なりと余裕ができる・・・。(関西空港では断られた)両替のお兄さん二人も朝なのにニコヤカである。さすがヨーロッパ人。
荷物をまってるあいだ、オーストラリアのおばさんとお喋り。おばさんには悪いが、会話の練習。地下鉄でキングスクロス駅へ。(3ポンド60) 約1時間10分。
このあたりの動向は、下調べしてあるため余裕である。やっぱり旅行は事前の準備が一番楽しい。ああ、あとはただ、こなしていくだけ。
キングスクロスから、ニューキャスルまで電車で移動。GNRW (81ポンド50/クレジットカード)
08:00発。しかし発車3分前まで出発ホームがわからない。乗客はみんなコーヒーなど飲みながら、巨大な掲示板の前で発表を待っている。なんて非効率的な! これでは何分はやくきていても意味なしじゃん。と、日本人の私は思う。待ってる間にトイレに行こうと思うが有料なのでやめる。
ハリーポッターでも有名な、キングスクロス駅、朝もやのなか、荷物を両手にホームを走る。皆コート姿なのが初夏の大阪とは違う。
プリントアウトした時刻表を手にビビリながら過ぎ行く駅名をチェック。今のところオッケー。こんなとこで電車を乗り間違った日にはマヌケすぎて目もあてられない。車窓の風景は田園と古都の美しい町並みを眺めながら、持参した源氏パイをかじる。約3時間の旅。意外にも予定通り11:05ニューキャスルに到着。さすがに北国、寒い。
駅構内のツーリストインフォメーションで宿を予約。ベッド&ブレックファスト、いわゆるB&Bである。もちろん事前にインターネットで検索していたけど、やはり予想通り現地で教えてもらったところの方が安くさらに便利であった。(25ポンド・手数料込み) なんでも、大きなコンサートがあるので街の宿は満杯だそうだ!
地図をもらって、駅前からイギリスっぽい2階建てバスに乗る。(56ペンス)7-8分で着き、運転手さんに教えてもらって、降りる。降りたは良いが、場所がわからず尋ねまくりようやく宿を発見。結局バス停の目の前にあった。
大きな看板くらいだしといて欲しい。
狭いが天井の高い小奇麗な部屋だった。時計をみると12:00。順調な行程。シャワーをあびて、ようやく一息。着替えて、明日の服を用意して荷物を整理してマグカップにお湯をもらう。(さまして明日の飲み水にするのだ) テレビを見ながら休憩。ローリングストーンズのツアー再開記者会見のニュースが流れている。おちついたので、ざっと観光にでかける。
近くにイスラム系の学校があるようで、下校する制服姿の女生徒をたくさんみかける。バスに乗るが、お目当てのバス停を乗り過ごしてしまう。(1ポンド12) しょうがないので、地図をみながらブラブラ歩く。商店街をブラブラながめる。安スーパーで、気のきいたまな板や棚板をみかけ、欲しくなるが、ダメダメ「エコノミー」と思い、荷物になるしなあと理性であきらめる。
図書館に行きたかったが5時で閉まってて入れなかった。駅まで歩いて、バーガーキングで夕食を買う。(3ポンド99) 最近読んだ「ファーストフードが世界を食い尽くす」という本の、ファーストフード業界の労働者搾取を思い出し、ちょっと気が引ける。
他にする事もないので、駅から徒歩で会場 Telewest Arenaに向かう。地元人のフリして、食べながら歩く。さすがに開演2時間前なので早すぎとは思うが、意外と人は集っていた。皆はたらいてないのだろうか?
当日券を買おうとすると、窓口そばに2001年日本ツアーで会ったオッカケのフェデリカがいた。「おお、あなた久しぶりね〜。」と抱擁し喜び合う。おまけに、日本人のオッカケ青年ミツルもいた。人のことはいえないが、おそるべし気合だ・・・。おそるべしボブディランファン・・・。どこでも行くのか?
フェデリカの紹介で、チケットが余ってるという現地の人から定価でアリーナ席を買う。この旅行でお世話になるジョン・ヒュームさんを待つあいだ、
フェデリカとお喋り。多くのボブ・ディラン・ファンがフェデリカと顔見知りなのでそばにいると面白い。(「君スターリング・キャスルにいただろ!」「また会ったね!」等)
しかし寒い。そうこうするうち、レイとラリーも現れる。レイとは1998年ニュージーランド以来、ラリーとは1999年ニューヨーク以来。彼らは片道2時間半かけて車でやってきたのだ。さすが・・・。「今日来るって決めたんだ」だって。やっぱりさすがだ・・・。
明日のマンチェスターのあと2晩はレスターにあるレイのお家に泊めてもらうので、その前に会えてちょっと安心。抱き合い再会をよろこぶ。やっぱり優しいひとだなあ。ラリー夫婦もレイのお家に泊まっているのだ。
レイは前日にジョンと電話で話したそうで、私のロンドンへの輸送について相談してくれてたらしい。おお、心強いなあ。もうなにもかもオマカセします。やっぱりレイもフェデリカと顔見知りだった。当たりまえか。
開演が近付いたがジョンは現れないのでフェデリカと一緒に中に入る。中は大阪城ホールくらいのアリーナだった。先ほどの人の隣にすわる。その隣の若者からプログラムをみせてもらう。壊れた大人さんの噂どおり、福岡の写真が表紙だった。(上の写真参照)
ジム・ケルトナーがドラムスですよ、と隣のひとに言うと喜んでいた。10-15分ほどおくれ、開演。
席はちょっと遠かったけど、持参の双眼鏡で眺める。聴きたかった Solid Rock と Subterranean Homesick Blues が聴けて嬉しい。期待してたので嬉しい。ちょっと遠いけど嬉しい。ボブは例のごとくブレードでかざりつけた白いスーツだった。靴が見えないのが残念。
ハードレインで、It's a hard,it's a hard.. という歌詞部分で、観客がつぶやくように it's a hard.. と歌いだし段々それが大きな合唱になって it's a hard's gonna fall! の箇所までくると盛大な大合唱に! 本当に盛りあがっててウォーと大声で叫ぶ人ばっかでコワかった。
個人的な感想としては、いわゆる「まずまずのショウ」ってやつだった。(すいません、偉そうで・・・。)どうも整然としすぎて、ボブの凄い時の魂がなかった。ボブがソツナクこなした印象はぬぐえない。しかし非常にまとまった演奏で、公演自体も2時間20分くらいあった。すごいな〜。ボブ元気やなあ。
イギリスの観客層がオトナなのにも感心した。ティーンはほぼゼロ。40代以上のカップルがほとんどで、これがいわゆる大人の国イギリスというものなのだろうか。しかし雰囲気は熱く、客席もほぼ埋まっていた。そりゃあ毎年ボブもツアーするよな〜。
終演後、日本人青年ミツルと初めてしゃべる。なんと彼は去年私と会った事を覚えてなかった! ま、たしかに私髪切ったのでわからないかも。ジョンが探してたよ、と教えてもらう。
出口でジョンに再会。やっぱり抱き合い再会を喜ぶ。(すでにイギリスナイズしてきた。)私の泊まってる所に翌朝迎えに来てくれるらしい! なんて親切な! またバスを乗り過ごしそうで不安だったこともあり、お願いして、ついでに宿までも車で送ってもらう。
ジョンには今回お世話になるので、持参したボブのチケット半券(絵柄つき・1999年5月1日イシュゲル)とバックステージパス(同じくイシュゲルと1999夏USツアー) をプレゼントする。彼はそういうモノを収集している変わった人なのだ。
車のなかでジョンのお友達二人ともあいさつする。キースは米国フィラデルフィアから来ていて、今回はUKツアーを全部みるそうだ。素晴らしい!
車で7-8分。宿までおくってもらうと、どうもみんなの反応がおかしい。どうもその辺りは「治安の良くない地域」らしい。まるで極貧旅行者の泊まる、立地の悪い激安宿みたいではないか。そこまで酷くはないはず! 一応、評価の高い安全な宿と確認もしたし! しかし非常に心配され、部屋まで送ってもらい、今夜はもう出かけないよう注意される。疲れてて、そんな元気ないゆうねん。
とりあえず、翌朝電話をもらうことにして、お礼を言ってさよなら。シャワーして寝る。なかなか完璧な一日だった。
5月9日水曜日
ニューキャスル-マンチェスター-レスター
くもり。
ボリューム満点の朝食。三角形のすごく薄いトースト。それ専用の「トースト立て」を興味深くみる。40歳前後のカップルと同席。英語じゃない東欧ぽい言葉をしゃべっているが、この人たちもボブを見に来たのだろうか。もしかして隣の若者3人もボブファンかもと1人妄想にふける。
ジョンから電話。11時に迎えに来てくれるらしい。チェックアウトは10時なので、11時まで宿のラウンジで待たせてもらう。そのうち宿のご主人が出かけ、宿に私は1人ぼっち。もし私が悪人で、TVとかソファとかいろんなモノを盗ったりしたらどうするのかと思う。(しないけど)
TVでは、前日あったプレミアリーグの決勝(らしい)「ダブル」といわれるサッカーのニュースで、大騒ぎだった。マンチェスター対アーセナルの試合は、アーセナルの勝利。アーセナルといえば、昔名古屋グランパスの監督だったベンゲルが監督だっけ、と思い出す。(アーセナル所属の稲本(元ガンバ大阪)が、来るワールドカップで活躍することになるとは、この時は思いもしなかった。)
そのうちジョンがむかえに来る。車にはもうひとりのジョンもいて挨拶。
もうひとりのジョンはすぐさよならして、私、ジョン、キースの3人は出発。
道中ジョンの趣味で、リッキー・リー・ジョーンズのCDをきく。しんどかった。あとは世間話。フェデリカの話から発展し、ジョンからいろいろなファンの話をきく。
「昔、サラってちょっと狂ったファンがいた。自分のことを "サラ・ディラン"て名乗ってた。
ボブのコンサートがある所ならどこにでもいた。どうやってか不思議なんだけど、どこにいってもなぜか彼女の方が僕よりも先についてたね。ここ数年姿を消したけど、死んだとかいう人もいるし。単にもうボブに興味がなくなったのか良く判らない。」
「あ、その人ならあなたの写真集で見たことあると思う。」
「そう、その女性だよ。あるとき、僕等はヨーロッパを車で旅行してた。ハンガリーからユーゴスラビアに近付いた時・・。」
「あなたユーゴスラビアに行ったの?」どこでも行く人やな・・・。
「戦争の前だよ。」さも当然と答えるジョン。
「国境に近付いたとき、道端をサラが歩いてた。」
「歩いてた!? 」
「そう歩いてた。彼女は両手に荷物をかかえて、1人で歩いてた。そこは国境だから、周りには町も駅もなにも無いところだったのに!
で僕等はサラを車に乗せてあげた。誰でもするだろう? 彼女は2-3時間、助手席でいろんなオカシナ話をしてくれた。ボブが彼女に欠かさずくれる手紙の話とか。ちょっとオカシナ話だ。」
「・・・・。」
話はつづく。
「客席から舞台にのぼったあの女の子もいたなあ! あのビデオはすごく好きだ。実際、ボブとしばらくは一緒にマイクの前にいたんだ。見たことある?」
「ない。でも、それってもしかしてブートレグCDになってない? 時代は変わるを一緒に歌った人?」
「そうかな。何が良かったって、その子はボブに抱き着いたり、キスしたりとかはしなかったんだ。ただ自分の手のひらをボブの頬に当ててた、歌の間ず〜っと。ビデオで見るととても愛らしいんだ。感動的だよ。それはいいんだけど公演のあと、彼女は僕に話し掛けてきた。僕はその時の写真を撮ってたしね。で彼女は、舞台にあがったのは、ボブに呼ばれたからだって言うんだ。」
「・・・冗談だったのかも。」
「違うよ。ボブからもらった手紙の話もしてた。」
「コワイね〜。」
もっと普通の話もする。
「ところで、ジム・ケルトナーについてどう思う?」
ジョン「ドラマーだね。」
そらそうですわねえ。でももっと何かないんかい? という私の視線に更に続けるジョン。
「僕はバックのメンバーにはあんまり関心ないんだ。彼らはたまたまそこにいるだけだろ。チャーリーやラリーがどんなに上手くても、誰も彼らを見に行くわけじゃない。僕が見たいのはボブだ。」
途中サービスエリアみたいなとこで休憩してたら、同じくボブ追っかけの一行に会う。私は飛行機でだいたい20時間くらいかけて来た、とあいさつする。本当はもう少し短かったけど、多めにゆっておくと尊敬されたので、以後、旅行中はずっとそう答えていた。紹介されても名前を覚えられないので、顔だけ知ってる人ばかり増えていく。世間話でサッカーの話をする。うーんイギリスっぽい。
ジョンに頼んでたロンドン公演のチケットをもらう。(50ポンド)
9列目で「すごい!ありがと〜」と感謝。 東京でちょっと世話しただけでこんなに報われるとは・・・。
2時前、ランカスターのデイブの家に到着。
暖炉のあるステキなお家。マンチェスターまで一緒に行くので、それまでお茶をいれてもらって休憩。彼は、ボブ関連雑誌・書籍をとりあつかっている My Back Pages の人なので、ちょうど私書箱からとってきたという、購読申し込み等のお手紙を開封しながらおしゃべり。
封筒に同封されていた現金に浮かべた笑顔が印象的だった。(小切手より、現金同封の方が断然嬉しいそうです) しかし、やっぱりデイブのしゃべり方も抑揚ゆたかだった。ジョンと早口で喋ってるとさっぱりわからない。ホンマに英語か? ってかんじ。
雑誌 UNCUT 今月号2冊をみせてもらう。中身は一緒だが 2種類のカバーで発売され、それぞれ違うCDがおまけで付いてくるらしい。キースによると、雑誌がアメリカに輸入されると権利関係の問題か、おまけCDはついてない場合が多いらしい。(NYなどの都会は例外だとか)
重い雑誌なので、旅の最後、ロンドンで買うことにする。
ソファでくつろぐ私達。最近のビデオを見せてもらい
「昨日は、こんな照明なかった!」
というと、昨日のニューキャスルはそれまでと違い照明演出がなかったと言われる。昨日だされた、ボブ側からのカメラ撮影自粛要請との関連を噂する。
単に、ニューキャスルの会場に設備がなかったのか? ビデオでボブがハーモニカを後ろに投げ捨てるシーンをみて皆で笑う。私はいわれて、初めて気付いた。前日は席が遠いのでよく見えなかったのだ。
ハーモニカに恨みでもあるのか。後ろを向かないことがポリシーなのか? たぶんそれがカッコイイと思ってのことだろうか? ボブって次々誰も思い付かない舞台演出を考えるけど、どれも意味不明で観客をビビらすだけではないだろうか。
休憩終了。デイブはカントリー風のドレスシャツでおめかし。一同マンチェスターに出発。1時間くらいで到着。
マンチェスターは駅に隣接した会場で、いわば東京国際フォーラムのような立地だったが、会場デザインはもっと保守的で無個性な体育館風だったが、立派な駐車場があった。
私は窓口で、当日券を購入。悪くないアリーナ席。カードで払うと手数料がいるというので、現金で払う(25ポンド)。
当日券なのに購入者の名前と電話番号がいるらしいので、私の名前よりわかりやすい、ジョンに代わりに答えてもらう。窓口のお姉さんとのやりとりは、ほとんどジョンが代わりにやってくれた。些細なことだけど、とても気が楽になって助かった。私も日本に来た外国人にはかくありたい。
フェデリカがいたので、あいさつ。ダフ屋も見かけた。もうこの辺は日本とかわりなし。
開演前に、駅前のアメリカ風レストランで食事。よく考えると、お昼をたべてなかったので、量の多い朝食は貴重だった。ジョンとデイブは氷抜きのコーラ、それにドレッシング、チーズ抜きのハンバーガーを頼む。イギリス風の頼み方なのだろうか? 私が頼んだホットドッグは普通のホットドッグだったが、ポテトが多くて閉口してると、アメリカはもっとひどい、とキースに自慢される。
その夜、ジョンとキースはデイブのお家に泊めてもらうが、私は、レイのお家に泊めてもらうので、レイを探さなくてはならない。でもデイブは「もし今夜上手くレイと会えなくても、最悪僕の家に泊まれば良いよ。」といってくれる。なんて親切な! 私もかくありたい・・・。
ほとんど連れられるままにきた一日だったが、あっというまにコンサートの時間になり呆然とするなか、開演まで、またいろんな人と喋る。
デレクとその彼女(奥さん?)に紹介される。ファンジン ISISの人であろうデレクはシャツもジャケットもキラキラ光る黒づくめの上下に、尖がったカウボーイブーツのいでたちで、ギターの形をした腕時計をしていて「今何時かって? (文字盤がないから)それはわからない。今はG時間だね〜。」というオチャメな人だった。
関係ないけど、こういう時、身長平均185cmの集団のなかにいる身長160cmの私は子供みたいな気分だった。
コンサートはベストだった。
昨日のニューキャスルとは比べ物にならない! なんといっても 一曲めが Maggie's Farm である。聞き飽きたブルーグラスではないことにボブの気合を感じる。はっきしいってボブも燃えてたね。観客も確実にボブファンばかり。はっきりいって、Senor のイントロでどよめくなんてボブへの愛以外の何モノでもないでしょう。そこらの平凡なロックファンが Senorなんて曲を判別できるわけもなく、しかも歓声で迎えるとはおそるべしマンチェスター。さすが、ユダと叫んだ街か。
曲目も素晴らしいの一言。One Too Many Mornings を演奏した時にはこの日はかなり豪華な曲が並ぶのでは、と思ったが実際、
私の大好きな I Don't Believe You と Lonesome Day Blues。Visions Of Johanna に Don't Think Twice, Blind Willie McTell と愛される傑作がゾクゾクと登場。
初めて生で聴いた Things Have Changed もちょっと嬉しかった。さらに最後を飾る、あの劇的なイントロに生まれ変わった Watchtower。2回目のアンコールにはこれ以上なくふさわしい華麗な演奏。97年当時、ああも疎まれた同じ曲とは思えない・・・。
壊れた大人さんのゆってたとおりの、バリエーション豊富な照明がこの日は復活。最初は舞台後方に例の巨大なエジプト目玉風ロゴの黒い幕。2、3曲目でその幕が左右に消えた後は、後ろに白いドレープたっぷりの幕があらわれて、暗闇の中バンド1人ひとりにスポットライト、とか、2月のグラミー授賞式のような舞台後方にメンバーの影が消えては現れる演出とか様々あり、一番最後は目玉ロゴをライトアップして、終演、というこなれた展開。
その他の舞台演出としては、フォーメーションは健在。開演時のお香も健在。開演時には、舞台だけじゃなくて、アリーナ中央にあるサウンドボードでもお香をたいているので客席中に香りが充満し、観客の気分ももりあがるという風情ある始まり方。
オナカいっぱい。かなり満足。終演後はレイとも首尾よく再会。
「昨日よりも断然良かった!!!」「ホントに!」とさすが、良いショウのあとは皆上機嫌。
駐車場で荷物を受け取り、ジョン、キース、デイブにはお礼を言って、ひとまずサヨナラ。でもまた明日も会うけど。
マンチェスターとはこれでオサラバ。私も、東洋のマンチェスターとよばれた大阪出身。感慨深いものがあったが、短い滞在だった。3-4時間くらい?
速攻でレイのお家に出発。レスターまで車で2時間半くらい。私は運転しないから良いけど、レイとラリーは昨日もニューキャスルまで往復6時間運転してるのだ。体力あるな〜。悪いとおもいつつ、私ひとり車中ひと眠り。
レイのお家には深夜1時半くらいに到着。車のトランクから、UNCUTの巨大な街頭広告を下ろす二人。今日の戦利品らしい。はっきりいってオトナとは思えない行為だがうらやましい。
とりあえずレイとラリーとお茶で一服。レナード・コーエンとボブのポスターが飾ってあるゴージャスなリビングである。
ラリーはこのイギリスツアー制覇する見込みのようだ。奥さんのセイディー+子供2人とNYCから来ていて、同じくレイのお家に家族で滞在している。セイディーは今日はお留守番だが、有名な夫婦ボブファンである。遅いので、今日は子供たち共々さきにオヤスミしてる。
このツアーの曲目変化の多さに感心しあい、今日の感想を交換し、今日はいままでの中ではベストだね、ということで意見の一致を見る。
レイは、ビル・ペイゲルさんに電話をかけて最新ニュースを尋ねる。(アメリカでは朝) ボブの娘が会場にいたとかいないとか。5月にビッグニュースがあるかも、とかよもやま話とモロモロの噂をきく。(結局このビッグニュースが何なのかは不明)
レイは、なんと私のためにUNCUT(両方)を買っていてくれてプレゼントしてくれる!嬉しいけど「どうして?」と聞くと「売り切れるといけないと思って」だって。なんて優しい・・・。
用意されている、可愛らしい私のお部屋に案内され感激のうち就寝。
5月10日木曜日
レスター-バーミングハム-レスター
晴れ。
9時起床。シャワーを浴びてでたところでセイディーに会う。抱き合い1999年以来の再会を喜ぶ。子供たち、ロザリー(4歳)とピーター(2歳)にも挨拶。私の部屋にはいってきて興味深そうに観察されるが、すぐ飽きて出て行く。さすが子供。
レイはすでに出勤。ラリー家族と一緒に朝食。ぼーっと家族を観察する。当たり前ながら、子供でも英語を喋っててスゴイ。彼らは近くの農場へいくそうな。誘ってくれたので、私もついていく。
農場までは車で10分ほど。ラリーは一瞬反対車線を走ったりして、やはり違う国なので運転に気を遣うみたいだった。農場では、緑のなか、巨大なブタやロバやニワトリと戯れる事ができる有意義な時間を過ごす。(3ポンド50)
インド人ぽい女のコとパンクっぽい化粧の黒髪の女のコ従業員2人と世間話。インターンをしているらしいが、暇だったのかウサギを抱かせてくれたりいろいろ相手してもらう。1時間ほど過ごして近くのパブで昼食。
本日のスープ+パンと紅茶を頼む。紅茶は銀の盆にポットで出てくる。セイディとラリーはビールにサンドイッチ。うーんイギリスっぽい。
ちなみに彼らは家族でボブ追っかけしてることで有名である。アメリカ国内はもちろん、イギリスにくるのも今回が初めてではない。ラリーの仕事は電話でも可能なので毎日オフィスに行かなくてもよいらしく、さらに4週間の有給休暇で追っかけと仕事も両立できるそうな。理想やなあ。私もこんな夫が欲しいわ。
彼らはレイの家に帰るが、私はバス停でおろしてもらい、レスターの街中まで観光にでかける。バスで20分ほど。(1ポンド40)
特に目的はなかったので、朝キッチンでみた地図を思い出しながらブラブラ商店街をみて歩く。由緒ありそうな時計台のまわりに広場があり、そこが街の中心らしい。
スーパーで水とクッキー、ポテトチップスを買う(1ポンド40)
ショッピングセンターの中でシンプソンズ携帯マスコット(?)とハガキ(3ポンド49)切手(40ペンスx12)を買う
ショッピングセンターで驚いた事は、ユニクロが入っていたこと。「ワールドカップでイングランド得点で割引セールします!」 ポスターを化粧品屋で見かけたこと。平日の午後にしては、若者でにぎわっていたこと、大学の街なのかも。
バスターミナルまでぶらぶら戻り、帰るバスを探す。しかし良く考えると、どのバスに乗ればよいのか分からない事に気付く。が、レイの住所をメモってたので、壁の路線図を見て何番のバスかはすぐに判明。15分ごとに発車らしい。楽勝である。問題は降りるところが分からないってことだが、バスの運転手さんにきいてこれも解決。
こんなとこで迷った日には、皆に迷惑+ボブも見れないかもで最悪の展開とびびった私は、英語が通じない時のためレイの住所を見やすい大きな字で書いたメモまで準備していた。我ながら、外国でいままで散々迷子になった経験を糧によくここまで成長したものだ・・・。(1ポンド40)
その甲斐あり、15時すぎに無事帰宅。
仕事を早退して帰宅していたレイに挨拶。ブタを初めてみたと言って驚かれ(私は都会ッ子なのです)、1人で出歩いて帰還したことを誉められる。("君は勇敢だね!")ちょっと嬉しい。レイはカタコトの英語で一人旅する私の事を心配して娘のように思ってくれているので、かなりオーバーリアクションで親切にしてくれる。長身をかがめて私の話を聞いてくれる姿に、感謝せずにおられようか。
バーミングハム出発までの時間に、友人あてのハガキを書く。
皆、着替えて16:45出発。今日はセイディーも一緒。子供たちは、レイのお孫さんの婚約者(18歳)がみてくれるらしい。
途中バックシートに合流したレイのパートナー、パトリシアにご挨拶。
「あなたが1人旅してもお母さんは心配しない?」ときかれるので、又か・・・と思いつつ「私は26歳です」というと「あら本当!」とビックリされる。
「皆から私は16歳なのかとか聞かれるんですけど、違うんです」というと頷かれるので、やっぱり若く見えるようだ。セイディが横で笑っているが、彼女にも出会った頃、似たようなことを聞かれた。
パトリシアから大規模な列車事故のニュースを聞く。
車中で、今日の公演のチケットを持ってない、と言うとレイは余っているチケットがあるのでわけてくれるという! 7列目だ。ああ、なんてラッキー。
会場 National Exhibition Centre Arena (NEC Arena)に到着。
駐車場でレイにチケット代金を払う(25ポンド)
が、そのとき渡した20ポンド札が普通の紙幣ではなかったらしく驚かれる。お金はお金だが、銀行で交換しないと一般には使いづらいお札だという。ニューキャスルで手に入れたんじゃない?と言われたところから、主に北国のみで流通している紙幣らしい。「違いに気付きもしなかった」というとレイは、使いづらいお札なのに笑って受け取ってくれる。助かった。
会場前は、緑の小路と湖が広がる美しい眺め。会場正面の高級ホテルにボブは泊まってるのではないかと皆して噂する。レイとパトリシアは手をつないで歩く。さすが年配カップルでもイギリス人だ。
フェデリカに会う。
ミツルにも会う。日本語なので嬉しくてお喋り。彼は日本でしばらく働いてはお金を貯めボブを追っかけ、という暮らしをしているらしい。彼によればフェデリカも4-5年前はチケットを買ってたらしい。彼もつい最近までは買ってたけど「やっぱり金かかるしね」ということで現在はフェデリカのように「タダでチケットください」作戦に出ているらしい。何年かしたら、何十人もの同類が現れることになるのだろうか?
フェデリカはインターネットカフェでボブ情報とか公演日程をチェックしてるけど、ミツルはインターネットは利用してないらしい。「えー?じゃあコンサートの場所とかわかれへんでしょう?」と聞くと「人からきいたり・・・」だって。そうなのかー。素朴だ。実際、私も8月の最新日程はフェデリカから聞いたしなあ。
開演まえの会場外は、ファン同士の社交場となっているが、ボブ・ディランファンは所詮インテリなので、会話に夢中になると早口+難解な語彙で私の英語力ではたちうちできなくなる。そこで私は1人入場して、ピザとオレンジジュースを手にグッズを眺める。
グッズは相変わらずダサかった。
bobdylan.com/the store
妙にポップでパステルカラーなキャデラックのイラストにボブ・ディランとロゴが入ったレディースT、ボブ・ディラン・ファン・クラブ(存在しない)とロゴが入ったパーカーなど本気で売る気があるとは思えない。アイテム数は多くて、Tシャツ・トレーナーも3-4種、毛布、ジッポ、CDホルダー、帽子(ほとんど目玉+ボブ・ディランロゴ入り)など。もし私なら、舞台で使ってるお香をロゴ入りで売るな。きっと売れるはず。
しかし、ジョンはボブCDホルダーを愛用してたし、レイもボブ腕時計をして、家の鍵にはボブキーホルダーをつけていた。私もボブマグカップを使っている。やはりファンというのは買ってしまうのか。でも日本でボブくらいの年齢の人の顔写真入りグッズとかあんまり無いよな〜。市川猿之介掛け時計とか、加山雄三タオルとかあるのかしら。
などと1人考えてると、レイとジョンに会う。
ジョンとキースも今日はレイの家に泊まるそうなので、今日の帰り私はジョンの車に乗せてもらうことになる。レイの車は5人でかなり満員だった。
席につく。ラリーは私の隣に座っているが、セイディーは一列目でジョン・ボールドウィンとお喋りしている。と客席の明かりが消え、観客は前へ走る!ラリーに「GO!」と声をかけられ私も走り、舞台中央2列目へ陣取る。
この日は前日と並ぶ、ベストな内容であった。個人的にも、前で見れたし完璧。
一曲目は今日もマギー。これはやはり、ニューポート凱旋公演に備えての練習なのか? バンドメンバーは皆、メッチャ真剣な顔で必死に演奏。地をはうようなリズムを崩さないようにただただ必死。トニーも笑顔無し。チャーリーなんか、例の猫背でボブをくいいるように見上げてて、演奏トチったら首にされると言い放されたかのような、ボスのゴキゲンを伺う飼犬のようなケナゲサ。ボブはいつもどおりの無表情で、閉めたままの口元を動かしたり目玉をぎょろぎょろさせる。
後半の Roling Stoneとか Tangled Up などの余裕ありすぎ演奏(特にラリー)もあるから、緊張感あってメリハリついていたとも言える。
ボブのハーモニカ投げ捨ても間近で見た。
ボブはハーモニカを両手で握って吹き散らした後、振り向きもせず左手で後ろに投げ捨てていた! (バックハンドが多い)でその左手をすぐさまギターのフレットに戻して歌い出す。後ろのアンプのあたりに転がってる投げ捨てられたハーモニカは、ギター係のトミーさんが拾って、アンプの上のハーモニカ置き場にちゃんと戻す。なんて傲慢なボブ!!!(でもカッコイイ〜)
しかしなんといってもこの日は華麗な選曲が見事だった。Tomorrow Is A Long Time、 Big Girl や Tom Thumb、 Fourth Time Around など古い曲も捨て難い。特に Big Girl では新しい歌詞を歌い観客がどよめいていた。観客は"オー"と唸り声を上げて首をふるので、文字どおりどよめいていた。しかし、たくさんの新曲の方にボブの力は入っていたようだった。
Tweedle Dee
は、アルバムでもギターがカッコイイけれど、ライブでみるとフレーズが変わっててはるかに楽しい。よく覚えてないけど、どうもあれはチャーリーが弾いてるようだ。ラリーは比較的アルバム通り、従来のアレンジ通りやるプロっぽいところがあるけど、チャーリーは何かいつも変わった事やったるでー、というギター少年っぽいところがあって楽しい。そのせいか、一時に比べてボブのギターソロが控えめになったようで、そのぶんチャーリーの時間が増えてる。
個人的に私は大好きでとても楽しいけどチャーリーって、弾く時自分の手元を見つめて夢中になって弾きまくる。誰かが「チャーリーはラリってる」説をニューズグループに投稿してたほどである。
たしか Summer Days。二人のギター演奏が素晴らしく超スピードに入り、バンドの演奏が止まらなくてボブが入れない時すらあったのが笑えた。ラリーは大人なんでけっこう譲るけど、チャーリーは去年の日本公演より断然派手にガンガン弾きまくるので、ボブの入るスキがないのだ。
その時ボブはトニーの横あたりまで下がって、両手をブラブラさせて口をへの字にさせて足踏みしてる。で、おもむろにチャーリーの傍によって挑むかのようにギターを弾くんですよ〜。うーんギターバトル再び。もちろんボブは負けてた。ちょっと悔しそうだった。
そのあとの Wicked Messenger の間奏でボブがハーモニカを手にした様子は、ギターはあかんけどハーモニカは負けへんで〜、という決意を感じさせ微笑ましく思えた。(私だけか?)
燃えたハーモニカは本当に素晴らしかった。
アンコールの前、一息ついているとレイに声をかけられる。
私の左側、一列目に陣取っていたのだ。「スゴク良いね〜!」と感想を言いあう。レイはずーっと笑顔でパトリシアの肩に両手を置いて踊り、見るからに楽しそう。(しかも Love sick なのに)
レイは1966年当時から現役ファンで、かつ、いまだにライブを楽しんでるのだ、素晴らしい。普通ひねた評論家ぶって腕組みして後ろのほうで見てたりしそうなものなのに、絶対前で踊ってるもんな。前の週末にはチューリッヒにも行ってるし。今日も仕事早退やし、ただただ尊敬。ちなみにレイは、1966年ビートルズ公演も一列目でみたらしい。スゴイ!
かなり良い公演だったので、終演後は放心状態。
とりあえずプログラムを買う(8ポンドx4)
売店は終演後でかなり混雑している。ジョンを待たせて悪いが、会場から車で帰れるのは今日が最後。大きな荷物なので今日持ち帰っておきたい。
公演日入りのポスターをレイが2枚買っている。ビル・ペイゲルさん用だ(2枚とも)。 公演ポスターを全て集めているらしい、さすがだ。
あとは帰るだけ。ジョンとキースととっとと駐車場へ急ぐ。横のホテルに駐車してるらしい。
途中、歩きながらもジョンはしきりとTomorrow を褒め称える。
「人によってはマンチェスターの方が良いってゆうけど、今日がベストだ。Tomorrow だよ。歌詞の全てが完璧だった。」とつぶやく。すかさず
「私はマンチェスターの方が良かった」というと「へっ。君に何がわかる」と強気だ。しかし甲乙つけがたいほどに二日ともベストな内容。こういうボブを見るために私は来たのだ。
ホテルロビーでジョンの知人2人に声をかけられる。顔が広いのも大変で、急いでいるが立ち話する。私ももう1人のアバディーンからきた人とお喋りする。
「ケルトナーは今回限りだよ。彼はツアーが嫌いだからね。」と彼は言い切る。ヨーロッパでの公演もみたそうで、前のドラマー、ジョージ・ルセリはすごく良かった、という。「彼はドラムスティックを凄く高く上げて演奏するんだ、ダイナミックだった。それにボンゴも叩くし、とても良いドラマーだったと思う。彼の腕が早く治ってまた戻って来て欲しい。」と 語っていた。
私がデービッド・ケンパーがドラマーだった時は sugar baby でドラムスなかったでしょ?(正確にいうとシンバルだけ) と聞くと「ほんとに?」と明らかに一目置かれて気分良かった。するとさらに思いもかけない質問をされた。
「君もしかして、1996年にフィンランドに行かなかった?」
ビックリしたが、確かに行ってたのでうなずいて、
「ポリ?」ときくと、「そう! ポリ・ジャズ・フェスティバル! 君の事覚えてるよ。チケットの半券を集めてたでしょう。」そう、集めてたのだ。「僕も尋ねられたから覚えてるんだ。チケットの半券要りますか?って聞かれたから、要る、って断ったんだよ〜」
うーん、奇遇だ。それなら覚えててても不思議はない。しかしという事は、この人も北欧まで行ったという事か。おそるべしボブファン。またロンドンで会いましょう〜、と別れる。
ジョン達もレイのお家に行くのは初めてらしい。夜道なので当然迷うが、私はあまり道案内できない。悪いな〜と思いつつうたた寝。
1時頃無事到着。そのあとさらに3人到着し約10名でパーティ。(結局皆レイのお宅に泊まる) パトリシアが食べ物やお酒を出してくれる。 Big Girl の新歌詞を確認しあったり、ボブ-チャーリー不仲説("JJがクビになる前もでしゃばりすぎてボブに嫌われてたよね")など、皆でお喋り。
関係ないが、新しいドラマーの名前はなんと発音するのか知りたくて「名前なんだっけ?」等と聞いても、「さあ、ジョージなんとか(George Something)でしょ」「なんだっけ?新しいドラマーでしょ」とあきらかに興味無し、という反応で結局どう発音するのかよくわからないままだった。
私は白ワイン2杯で酔っぱらい、あいさつして先に休む。皆2時半くらいまで起きてたらしい。
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